ハワード・カーターはこの日干しレンガの家に住み、日々発掘作業をしていましたが、
スポンサーであるカーナボン卿(第5代目カーナボン伯爵ことポーチェスター男爵ジョージ・ハーバート)はルクソールのホテルに滞在していました。ですが、この家にもカーナボン卿の部屋がありました。
この上の写真の椅子ですが、発掘していた当時カーナボン卿がこのような椅子に座り、
本を読んでいる写真が残されています。
この写真の人物がカーナボン卿です。
これはツタンカーメンの墓を発掘していたメンバーのひとり、ハリー・バートンが撮影したものですが、カーナボン卿を紹介する際に良く使用されている写真です。
余談ですが、カーナボン伯爵邸はイギリス・ハンプシャーの「ハイクレア城」です。
人気ドラマの「ダウントン・アビー」の撮影に用いられたのが、この「ハイクレア城」です。
そしてこのカーナボン卿がルクソールで敗血症が原因で亡くなったとき、謎の言葉を残し息を引き取ったと言われています。その言葉とは「彼が呼んでいるからついて行く」
でした。
カーナボン卿の死を皮切りに、ツタンカーメンの墓に入った人や発掘関係者が亡くなったことから、「ファラオの呪い」と騒がれたのはこの「ツタンカーメン王墓」です。カーナボン卿は残念ながら、ツタンカーメンのミイラに対面することなく亡くなりました。
しかし、ハワード・カーター(1874-1939)はツタンカーメンの墓の発掘を最後まで終わらせ、その後も生存し、亡くなったのは65歳です。もしファラオが呪いをかけたのであれば、人を選んでかけたことになります。
こちらがハワード・カーターです。
カーター・ハウスミュージアムには、ツタンカーメン王墓のレプリカ墓があり、博物館のチケットで見学が出来ます。
レプリカの墓は、オリジナルの墓をスキャンしたデータをもとに再現されています。
本物の墓と見比べてみると面白いと思います。
カーター・ハウスの横には、「ワセダ・ハウス」があります。
カーター・ハウスと同じ日干しレンガ作りで、早稲田隊が西岸で発掘・修復作業等をする時に今でも隊員が使用しています。
写真中央に見える建物が「ワセダ・ハウス」です。
早稲田隊も西岸でいろいろ重要な墓の発見、発掘を行っています。
関連記事
カーターのオフィスの隣に、カーターの寝室があります。 ベッドに誰か座ったのか、寝てみたのか[...] Read More >>
2016/07/12エジプト壁画の色 現在のエジプトの遺跡には色がないものがほとんどです。ですが、実は古代エジプトの神[...] Read More >>
2017/04/15ツタンカーメンとツーショット あの有名なツタンカーメンの黄金のマスク。エジプト考古学博物館を代表す[...] Read More >>
2016/10/31ラマダンのご紹介ラマダンは6月6日から エジプトでもこの習慣がだんだん薄れてきたように感じます。ラ[...] Read More >>
2016/05/24エジプトでは、5月17日からラマダンが始まりました。 朝、日が昇ったら、日が沈むまで飲食を断ちます[...] Read More >>
2018/05/23ラマダン中、日中の断食を終え、最初に食べる食事のことを「イフタール」と いいます。日本語に訳せば「[...] Read More >>
2018/06/12ラムセス3世葬祭殿 エジプトのルクソール観光というと、カルナック神殿、ルクソール神殿や王家の谷、 [...] Read More >>
2017/02/01メディネトハブを作ったのは「ラムセス3世」という王様です、その王の雄姿が塔門の「裏」に刻まれています[...] Read More >>
2017/04/21メディネトハブの壁には、ギッシリと文字や絵が刻まれており、彩色されています。 その色は残念ながら一[...] Read More >>
2017/04/19この旅のご相談、その他の旅のご相談は下記の電話番号にてお申し込み、ご相談を受け付けております。 また、メールでのご相談も何でもお気軽にお問い合わせください。
※土・日・祝・年末年始 休業